ふぐ料理・H(銀座)

最近の若い人には本当のふぐの美味さが分かっているのだろうか。単なる白身の魚として食しているのではないか、という疑念が私の頭から離れない。全ては、本物のふぐ料理店が世の中から姿を消しつつあることに原因があるように思う。ふぐ料理店・銀座「H」は、そんな、数少ない本物のふぐ料理店である。

最近では知る人も非常に少なくなってきたが、元来ふぐ料理店というものは、人間ではなく、ふぐ自身が経営するものである。水揚げされ、ふぐ料理店に入店した新人のふぐは、まず店内の水槽で環境に馴れながら店内をくまなく観察する。1ヶ月ほどが経過すると本格的な修業が始まる。まずは洗い場で皿洗いを覚える。洗い桶の中で我が身をくねらせながら皿を洗う技術を習得するには最低でも2年はかかるという。これをマスターした後は女将に扮して接客担当になる。ふぐが人間の姿を形作るのは並大抵のことではない。通常はふぐ36名が組体操のような形で人間の姿に変身、着物を羽織り化粧をして見かけは立派な女将さん、ということになる。由緒正しいふぐ料理店に行かれたことのある皆さんならばご記憶にあるだろう。ふぐの名店の女将さんの動きというのはどことなくぎごちないことを。

女将として5年を勤め上げたふぐは、いよいよ板前デビューする。女将同様、ふぐ48名が組体操により人間の板前の姿となり、仲間をさばくのである。さばかれるふぐは、老齢のふぐだ。板前を経験した後、料理店の主として10年程度勤め上げたふぐが、自らの退き際を察して調理場に下りてくるのだ。「さ、やりな。」潔い老齢のふぐの言葉に板前に扮した48名のふぐは声にならない泣き声を上げながら、大先輩の体を見事な薄造りに変えていくのだ。

ふぐの美味さ、それはこうしたふぐの一生を知らずには理解できないものだ。
目の前に広がったふぐの一生に想いを馳せる。
若かった頃の大海原での思い出、入店したての頃皿洗いで体を傷つけて泣いていたこと、女将として客に満足してもらったときの喜び、板前として先輩の体に包丁を入れる苦しみ、主として店を切り盛りする気苦労、そして一生を終え安らかな気持ちで皿に盛られていく・・・
こうした全ての思い出が旨みとなってふぐの身に凝縮しているのである。美味くないはずがない、というものだ。

銀座「H」は、都内では数少ない本物のふぐ料理店だ。女将さんの動きが多少不自然かもしれないが、これこそが本物の証。女将さんに触るとふぐ達がバランスを崩すので決して触らないのがマナーというものだ。最初にふぐを食べるときには軽く会釈または合掌するのが「H」の暗黙のルール。必ず守るようにしよう。