森喜朗首相,今度はマントヒヒであることが判明−政局は収拾不能の大混乱に(2000年)


注:このコーナーは,1998〜2005年の「日本警戒新聞」に掲載されたバックナンバーの一部を紹介するものです。記事内容については他の記事同様,相当多量の偽情報が含まれていますのでお気をつけください。また,登場する企業名・団体名・個人名は実在のものとは関係なく,かつ時代の変遷と共に変化・消滅しているケースもありますのでお気をつけください。


先日,フィリピンのエストラダ大統領と同一人物であることが判明したばかり(本紙既報)の森首相が,実は人間ではなくマントヒヒであることが31日になって判明,政局は未曾有の事態に混乱の度を深めている。
判明のきっかけとなったのは森首相がフィリピン大統領辞任の挨拶のためマニラに向った際の行動。マニラ到着後,30度を超える真夏日の暑さに森首相が思わず腕を捲ったところ,人間とは思えないほど大量の栗色の腕毛が露出,「またもや変装か」と疑った同行記者団が正体を暴こうといっせいに飛びかかり真っ裸にし,顔のメイクも無理矢理落としたところ,大型のマントヒヒであることが判明したもの。同一人物を最高指導者に戴いていたことにショックを受けたばかりの日本・フィリピンの両国民は,それがしかも動物であったことに回復不能なほどの衝撃を受けている。
森首相は31日の衆院予算委員会民主党の石井代議士の質問に答える形でその数奇な半生を語った。これによると,森首相は1974年3月頃,エチオピアの高原地帯でマントヒヒとして出生,しかしすぐに両親にはぐれてしまい,瀕死の状態になっていたところを,たまたま休暇で観光に来ていた当時の駐エチオピア大使の森和明氏に拾われた。子供のいない森夫妻は拾ったマントヒヒを我が子として育て上げる決意をし,2年後に帰日した後,マントヒヒに「喜朗」という人間名を付けて正式に養子縁組を行ったもの。その後森首相は夫妻の愛情に包まれて着々と人間の言葉等を理解するようになり,ついには早稲田大学商学部に入学を果たした。子供の頃から外交官として活躍する父の姿に影響され,「将来は政治家か外交官に」という志を持ち,マントヒヒなりに勉学に励み,また運にも恵まれて日本・フィリピンというアジアの2カ国の最高権力者の地位に上り詰めたという。
「そんな私のどこがいけないのか」と開き直った森首相に対して,石井代議士は「ヒヒのたわごとなど聞きたくもない!」と激昂。しかし自民党議員の野次はなく,「石井議員の気持ちも良くわかる」とむしろ同調するなど,自民党内では森首相を擁護する動きは森派を除いて一切無く,近日中の退陣が必至の情勢となっている。
全国の動物愛護団体が「動物差別反対」を旗印に一斉に森首相擁護に回っているが大勢に影響はなく,来週中にも新首相を選出する運びとなりそうだ。ただ自民党内の各派とも候補者の選定は相当難航している模様。次期政権は短期政権になるとの読みから,各派ともエース級を持ち出すのは得策でないと判断しており,森派に至っては「森首相の後継者は森首相の気持ちを理解できる人を」(小泉同派会長)という理由で,名古屋市東山動物園のマントヒヒ,アイちゃん(メス,7歳)をかつぐ腹を固めている。
こうした動きについて金融市場では「また日本国債が格下げになるのでは」という不安感から長期金利が上昇しているが,米有力格付機関のS&P社,ムーディーズ社は共に「たとえ誰が新首相になっても多分変化はない」というコメントを出し,今回の首相交替劇が格付の変更に直結する事はないとの見通しを示している。
なお,かねて「実はサルではないのか」という噂が流れていた自民党の野中幹事長は,31日夕方に国会議員食堂内でバナナを美味そうに食べているところを記者団に発見され,「やはりサルか!」と色めきたった記者団に襲いかかられ素っ裸にされたが,サルではなく人間であることがただちに判明,記者団の代表に対して全裸のまま涙ながらに抗議した。
さらに,先日「アキノ元大統領と同一人物である」と沈痛な面持ちで告白したばかりの扇千景建設相に対しては「実はオランウータンなのでは」という記者団の質問が寄せられたが,扇建設相は「何と失礼な!」と激昂し,見る見る顔色を黒くして記者団の一人,読売新聞の境敬一記者(28)に噛みつき同記者に全治2ヵ月の重傷を負わせ,カミツキガメであることが判明した。
今後の閣僚人選の在り方に一石を投じそうだ。