特集ルポ・はじめての東京ディズニーシー・パーフェクトガイド(2001年)

(注)この記事は,最近再び注目を浴びてきている東京ディズニーシーがオープンした当時のレポートです。今にして思えば幻を見ていたのでは?というような内容も一部含まれていますが,9割引くらいでお読みください。


9月4日にオープンした東京ディズニーシー。既にディズニーシーを体験した方もいると思う(注1)が,大半の方にとってはまだまだ未知のテーマパーク。今回は,これからディズニーシー(以下「シー」と呼ぶ)に行こうという方のために,筆者が9月4日深夜から5日早朝にかけて園内に極秘潜入,実際に体験した特別ルポをお届けしよう。皆さんがいつか実際に訪れる日のための参考情報となれば幸いである。

9月4日午後10時30分,小雨が降る中,東京ディズニーランドとシーの間にある有刺鉄線だらけの緩衝地帯を潜り抜けて,シーに無事潜入成功(注2)。既に10時の閉園時間を過ぎているため,客の姿はごくまばらになっている。
シー内の「ホテル・ミラコスタ」の客のふりをしながらホテル方向へ歩いていると,すっかりライトが落ちたアトラクションの中でぽつんと明かりの点いた薄汚れた看板を発見。
なぜかそこには,ディズニーには似合わない「もつ焼・松兵衛」の看板が掲げられており,酔っ払いたちの大声で非常に賑やかな様子。小腹もすいていたので,早速「もつ焼・松兵衛」に入り,ビール(注3)ともつ焼盛り合わせを注文。焼けるのを待ちながら,親爺さんに「何でこんなところにもつ焼きの店を出したの?」と尋ねると,「出てけ!」と激怒される。
周囲の客がとりなしてくれたので助かったが,機嫌を直した店主の坂井秀吉さん(56)によると,この「もつ焼・松兵衛」がこの地にオープンしたのは何とディズニーランドが開業する前の昭和44年。秀吉さんの父親で元漁師だった松兵衛さん(昭和58年逝去)が東京湾埋立てに伴う漁業補償金を元手に始めたという。短気だが義理人情に厚い松兵衛さんの人柄を慕い,店は常に元漁師仲間で一杯。83年の東京ディズニーランド開園後も,息子の秀吉さんが2代目として営業をしていたが,89年にディズニーシー建設計画が持ち上がり,オリエンタルランドから立ち退き要請を受けるに至った。しかし浦安の地に愛着を持つ坂井さんは「この地で商売を続けることは親爺の形見のようなもの。絶対に移転はしない」と立ち退きを拒否。その後,周辺のビルや店舗が次々と立ち退きに応じていく中で,坂井さんなど数軒だけが立ち退きを拒否し続けた。ところが95年にオリエンタルランドはディズニーシーの建設を開始する強行策に出た。怒った坂井さんらは徹底抗戦を申し合わせ,工事中も営業を継続,今日に至った。
結局園内には,「もつ焼・松兵衛」のほか,「おしゃれの店・ブティック高田」「康生堂薬局」「持田クリーニング店」「ビジネス旅館はまだ」の計5店がそのままの形で残り,ディズニーシーとは無関係に営業を続けているという。
これら5店の存在はシーのあり方にも大きな影響を与えている。シーの一つの特徴でもある「アルコール解禁」は,「もつ焼・松兵衛」にシーの客が流れるのを阻止するための苦肉の策であり,また園内に「ホテル・ミラコスタ」を開業させたのは「ビジネス旅館はまだ」への対抗上必要(注4)という判断からであるという。テーマパークの使命の一つは来場者に夢と意外性を提供することだと言われるが,これら5店は「夢」はともかく,意外性という点ではシーに非常に大きく貢献している。
今後の共存共栄を祈りつつ「もつ焼・松兵衛」を後にした。

午前0時を回って雨も上がり,探検意欲もますます湧いてくる。
松兵衛を出て北西方向に約5分ほど歩くと,かなり大規模な工事現場に出くわす。今後オープンするアトラクションなのかなと思い,近寄って工事票を確認すると,建物名は何と「学校法人 東京ディズニー学園」とある。工事現場の隔壁のところどころにポスターが貼ってあり,この耳慣れない「東京ディズニー学園」の概要を知ることが出来た。
ポスターによれば,東京ディズニー学園はディズニーとして初めて学校経営に乗り出すもの。日本でも珍しい小・中・高12年一貫教育の全寮制私立学校であり,来年4月の開校(注5)に向けて工事が急ピッチで進んでいるもの。教育方針は,「夢と希望を持った青少年の育成」であり,通常の学校教育のほか,「ディズニー史」「パレード実習」等,ディズニーならではの科目ももりだくさん。先生も全員がディズニーキャラクターの姿のままで授業を行うという。
所定の成績を修めると,平成20年頃に開校を予定している「東京ディズニー総合大学」にそのまま入学を認められ,卒業後は原則として全員が東京ディズニーリゾート内の施設または世界各地の関連企業に就職できるという。事実上社会人までエスカレーター式となっているこの東京ディズニー学園には,ポスターを見た来春小学受験予定の親子から問い合わせが殺到しているといい,競争率は慶応幼稚舎等の最難関クラスを上回ることも予想される。
筆者は個人的にはこんな学校には行きたいとは思わないが,個人の考え方の自由もあるので,興味がある方は問い合わせ(注6)をしてみるといいだろう。

学園から3分ほど舞浜駅方向に歩くと,荘厳なホール状の建物が見えてきた。入口のプレートを見て,ここが話題の「ディズニー証券取引所」であることを確認。
ナスダックジャパン等,相次ぐ取引市場の創設で,市場間の競争は激化しているが,そこにさらに殴り込みをかけたのがこの「ディズニー証取」。「夢と希望」をテーマに掲げたこの証券取引所は,証券会社を通じた注文は一切受け付けず,シーの入場者による直接注文のみを受け付ける世界でも珍しい取引所。あえてシステム化は行わず,入場者から受けた注文は,立会場でディズニーキャラクターに扮した場立ち職員により取引される。取引所2階の見学コーナーからは立会場の様子が一望でき,買い注文を持ったミッキーマウス達と,売り注文を持ったドナルドダック達が立会場内を忙しく動き回る様はなかなか壮観だという。
ディズニーシーの入場者はいずれも興奮しテンションが高くなっているため,取引所に行っても買い注文を出す人間がほとんど。このため,上場している企業の株価は東証等,他の市場での価格と無関係にぐんぐん上昇しており(注7),新規上場希望企業が殺到しているという。
9月末の中間決算を控え,株価の下落が気になる各企業では,時価評価の基準価格としてこの「ディズニー証取」での取引価格を採用する動きも広がっているようだ。
低迷する株式市場の救世主に敬意を表しつつこの場を後にした。

天気も完全に回復し,空が朝焼けに染まり始めた頃,突如東の方角から数百羽はいると思われる大型の鳥らしき一団がシーを目指して飛来してくる。筆者の間近にバサバサという羽音を立てながら舞い下りたのは,どうやらフラミンゴらしき鳥たち。おそらく,8月末で閉園した同じ千葉県下の行川(なめがわ)アイランドでショーを披露していたピンクフラミンゴ(注8)だと思われる。
フラミンゴの身でありながら,不況の影響を受けて居場所を失った彼らは,どうやら本能的に同じテーマパークを求めてさ迷っていたらしく,ようやく水辺のテーマパークを見つけて舞い下りたらしい。遠くから眺めると優雅なフラミンゴも,目前に大挙して押し寄せられると不気味としか言いようがない。
今後はディズニー色に染められてシー内でショーを披露することになるものと思われるが,人間界のとばっちりを受けた彼らの今後の活躍を期待したい。

いよいよ開業2日目の開園時間が迫ってきた。
お隣りのディズニーランドは夜の花火で締めくくられるが,シーは,朝のロケット打ち上げで始まる。宇宙開発事業団の相次ぐ失敗を尻目に,ディズニーでは独自にロケット打ち上げ技術を開発,1回200万円という破格の低コストでロケットを打ち上げることができるという。
開園の8時の30秒前になると,正門前で行列を作っている2万人の客が,ロケット打ち上げ会場(ホテル・ミラコスタの中庭)の方角を見ながら大声でカウントダウンを始める。そして午前8時,爆音と共にディズニーキャラクターが全面にペイントされた全長35mのディズニーロケットがゆっくりと姿を現し,そして次第に速度を増しながら快晴の空に向って旅立っていったのを合図に,今日の営業が始まる。
初日のロケット打ち上げでは熱狂的なディズニーマニアがロケットにしがみついてそのまま宇宙に旅立ってしまうという微笑ましいハプニングもあったが,新たなディズニー名物になるのは間違いない。
ロケットが空に残した白い軌跡を眺めながら,筆者もシーを後にした。(完)

(注1)太っ腹のディズニーシーは,地元浦安市民を開業前の8月に全員招待しております。
(注2)よい子は絶対にまねをしないで下さい。
(注3)正確には発泡酒。サッポロ生搾り(中ジョッキ)1杯220円。安い!
(注4)ビジネス旅館はまだの宿泊料金は2名1室,素泊まりで一人1泊3500円。ただし9月中は予約で一杯とのこと。
(注5)来春募集されるのは小学校のみ。定員100名(4クラス)。
(注6)どうしても問い合わせたい方は(要領を得た回答は絶対返ってこないと思いますが)東京ディズニーリゾ−トオフィシャルインフォメーションセンターまでどうぞ。
(注7)ディズニー証取上場株式178銘柄(9月4日現在)で構成するディズニー平均株価は9月7日現在で4833.15ポイントを付けており,取引所開設(9月4日)以来の連騰記録を更新中。
(注8)同名の映画とは関係ありません。