B787デビュー秘話−島田洋七さんら,涙の奮闘

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ボーイング社の最新鋭機,B787型機が難産の末,ようやくローンチカスタマーである全日空に引き渡された。
デビューまでには,主翼製造を担った日本メーカーの奮闘など,様々なドラマがあったが,今日は,世間でほとんど知られていないB787デビューキャンペーン秘話を紹介する。


3名の芸能人らが,極秘裏に全日空本社の会議室に呼ばれたのは,今から4年前の2007年5月。
姿を見せたのは,かつて漫才コンビB&B」で一世を風靡した島田洋七・洋八の両名と,歌舞伎界ホープの一人,中村七之助さんだ。
趣旨を聞かされていなかった3名は,そこで初めて,当時2008年6月から就航予定だったB787のデビューキャンペーンキャラクターへの就任を打診された。
言うまでもなく,3名の名前の「七・八・七」に掛けた人選であり,全日空が用意したトリオ名は,「B&B」にもちなんだ「BB787」。

「大変名誉な話」として3名は就任を快諾。トリオのデビューは,2008年北京五輪に合わせた国際線就航記念式典の場となることも決まり,式典で披露するギャグを練るべくこの日から異色の3人組の奮闘が始まった。

「北京」や「五輪」をテーマに一発ギャグを次々に量産する洋七さん,それに歌舞伎風の演出を施して芸術的なレベルにまで高める七之助さん,そうした様子を微笑みながら見守る洋八さん。
3名の寝食を忘れた努力により,2007年8月には「オリンピックの種目数を超える」(七之助さん)多数のネタが完成した。



しかし2007年10月,3名を悲劇が襲う。
ボーイング社が,開発・生産スケジュールの遅延を公表し,就航が北京五輪に間に合わないことが確実になったのだ。

柔道,サッカー,水泳,体操…。数々の競技にちなんだ「一発ギャグ」群は,公式の場で一度も披露されることなく封印されることとなった。

その後も,就航予定に合わせてネタを作っては就航再延期でボツ,ということを幾度も繰り返した。

いつになるか分からないB787デビューに備えたネタ稽古は果てしなく続き,3名がテレビや歌舞伎に登場する回数も次第に減少。このままでは元の世界への復帰もままならなくなるのでは…と危惧され始めた今年に入り,ようやく就航が決まったものだ。



1号機が羽田に到着した9月28日,全日空本社の社員食堂ではささやかな社員慰労会が開催された。
特別ゲストとして招待された「BB787」の3名は,万感の思いを胸に,封印された幻のギャグ「北京の夜明け」「かわいいバタフライ」「競歩バカ一代」などを披露,食堂全体が揺れんばかりの爆笑に包まれた。



全日空は3名のこれまでの努力に報いるため,B787の最初の国内定期就航路線を羽田−広島,岡山に決めた。
言うまでもなく,七之助さんの出身地である東京と,B&Bの代表的ギャグ「もみじ饅頭」でおなじみの広島,洋八さんの出身地である岡山に配慮したものだ。



3名は,10月26日に予定されているB787の世界初就航(成田発香港行)の記念式典にサプライズゲストとして登場する予定。4年間の血と汗と涙を結実させた「香港に関する」(洋八さん)一発ギャグを炸裂させる。


成田空港の祝賀ムードをさらに盛り上げることになるのか,それとも秋風を感じさせるのか。当日の式典から目が離せない。