「政治家の涙」トラブル解決にADR活用へ


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何かと物議をかもすこともある「政治家の涙」を巡るトラブルに,ADR裁判外紛争解決手続)が導入されることとなり,その具体的運用に注目が集まっている。



政治家にとって「涙」は,極めて扱いの難しい代物だ。

公務の場で流す涙は,どんな局面でも沈着冷静・対極的な判断を求められる政治家にとって「感情のコントロールが出来ていない証」として,政治生命を絶ちかねないリスクを持っている。


(国会議員の主な涙の歴史)

2000年 加藤紘一谷垣禎一(いわゆる加藤の乱

2002年 鈴木宗男(「ムネオハウス」問題で自民党離党)

2004年 古賀潤一郎学歴詐称疑惑で涙の街頭謝罪演説)

2009年 小沢一郎(秘書逮捕と党代表続投表明会見)

2011年 海江田万里(首相との確執)



ただ,冠婚葬祭やスポーツ・芸術鑑賞など,公務を離れた場所で流す涙は「国民と同じ感性を持っている」などとして逆に好感をもって受け止められ,涙を見せないと「人の心が分からないのか」と批判されることまであるから難しい。



こうした政治家の涙は,ニュースバリューも高いため度々報じられるが,報道が事実に反するとして代議士がマスコミを訴えるケースも少なくない。
ただ,裁判での解決には長期間を要するため,その間に事実上政治生命を失ってしまうという問題があった。



これを解決するために設けられることとなったのが「国会議員の涙に関する紛争解決センター」(以下「涙センター」)だ。

国会議員の涙に関する報道をめぐりトラブルが発生した場合,原則として1週間以内に結論を出すべく,「泣いたかどうかを正確に判定すること」「泣くにふさわしいシチュエーションかどうかを客観的に判定すること」の2つの機能を通じて,紛争の早期決着に寄与するものだ。



泣いたかどうかの判定は,そもそも報道された事実が存在するかどうかを決める重要なポイントだ。
報道によっては僅かに目が潤んだ状態でも「涙目で釈明」などと報じることがあり,「泣いた」「泣いていない」の水掛け論が展開されることがよくあるため,「眼球表面の水分量が平常時より50%増加した場合に『泣いた』と判断する」という基準を設けた。
紛争案件が持込まれると,眼科医5名で構成する判定委員会は,衆参両院の本会議場および全ての委員会室で撮影されたビデオ映像や,マスコミが撮影した証拠写真などを材料として,専門的見地から「泣いたかどうか」の判定を行う。



一方,「泣くにふさわしいシチュエーションかどうか」は,泣いたことが批判されるべきか,賞賛されるべきかを決めるもので,これが最終的に政治家の運命を決めるものとなる。

ただ,明確な基準を設けることが困難で「最終的にはケースバイケースで判断」(事務局)となることから,総勢20名の委員には,一般国民から「社会的常識に富む」と思われている著名人らを招聘し,その多数決で判定する方式を採用している。

委員には,的確な判断が出来るよう,常に様々な具体例を材料として判定を行う週4回のトレーニングが義務として課せられている。
涙センター開業前日の8月24日も,朝6時から東京・市谷にある研修所には上沼恵美子辛坊治郎泉ピン子中尾彬さんなど20名の委員が揃い,事務局が準備した演習問題を次々とこなした。

しかし,「衆院予算委員会で野党議員が『フランダースの犬』を勝手に上映し,それを見て泣いてしまった与党議員」の是非については,「フランダースの犬を見て涙を流さないヤツは信用できないね」と「賞賛すべき」とする中尾彬委員に対し,「仕事中にそんなもの見ていいの?」と泉ピン子委員がまさにピント外れの応酬。

「答弁中に突然痛風の発作に襲われ,泣き叫んでしまった閣僚」「国会で乱闘が発生,相手方から玉ねぎのスライスを目に投げつけられて涙が出てしまった議長」などの難問になると,委員が揃って沈黙してしまうなど,まだまだ準備途上という印象はぬぐえない。

しかし,首相退陣・民主党新代表選出・大連立協議など,政治家の心を揺さぶる数々のイベントが控えており,開業直後から活発な利用が始まるのは間違いないと見られている。



涙センターが,日本政治の混迷緩和に寄与できるのか,注目が必要だ。